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三人成虎 そのⅡ

2012.12.04(15:14)

しかし まぁ 何やねぇ~


脱原発・反原発・ゼロ原発と草木もなびいているようだが、「原発」とは原子力の熱エネルギーを利用

した「発電所」に他ならない。問題はそれが人間にとっては制御する事が極めて難しい核分裂の熱を

用い、しかも人体に有害な放射線を副産物として放出するところにある。

表題にあります「三人成虎」とは、一人や二人が虎が来たと言っても信憑性はないが、三人が言えば万人

が信じるという意味の漢詩熟語です。



人類が火を手に入れてから現在まで、この火という人間の生活には不可欠なエネルギー資源を求め幾多

の技術革新が行われてきた。言い換えれば技術革新とはエネルギー資源獲得の歴史でもある。

火を得るための資源として、真っ先に利用されたものは木材だ。周りを見れば何所にでもあり火を

付ければ直ぐに燃える、水を掛ければすぐに消える扱い安い燃料であった。しかし集団的農耕が始まると

人口は一気に増え、農地を拡大するために森林は伐採されて行く。その後、紀元前3500年前ごろより製錬

技術を獲得した人類は金属の精錬用に大量の木炭を必要とし大規模な森林伐採を行うようになるが、その

多様な金属を手に入れた幾多の古代スーパー文明も、森林の大量伐採による資源枯渇に加え伐採後の地盤

の保水力低下や土壌の砂漠化などの弊害により衰退していったと考えられている。


また、中世ヨーロッパではキリスト教の布教と共に多くの森林が消滅している。

多神教が大半を占めていた当時のヨーロッパでは森や大木を神として信仰していた人々が多く、唯一神を

布教するキリスト教にとって、森や木は邪魔な存在であったため、伐採し焼き尽くしたのである。


そして近世に至ると効率的な鉄の精錬技術が生まれ産業革命を迎えるのだが、すでに森林は衰退し大量

に伐採する木材資源が枯渇する状態に陥っていた。そこで大量の火力を必要とする精錬の資源に新たに

目を付けたのが石炭を蒸し焼きにした「コークス」なのだが、この石炭は木材と比べ重く採掘にも運搬

にも重労働を伴う資源であったため、技術革新せざるを得なかったのだ。

たとえば、今までは馬車に材木を積み地道を難なく運べたが、重い石炭を運ぶとなると一たび雨でも降ろ

うものなら、ぬかるみに車輪がめり込み立ち往生する始末で仕事にならない。

それじゃぁという事で、地道を舗装して走りやすくし、どうせならという事で鉄の軌道も作り鉄道馬車が

完成するが、馬ではぶっ通しで走れないからと蒸気機関車が登場する。このように技術革新とは必要に

迫られた人間の苦肉の英知ともいえるが、その産業革命発祥の地であるマンチェスターには無数の精錬

鉄鋼所の煙突が林のように立ち並び、日中でも煤煙で太陽の光さえ届かなかったという大気汚染だ。


その石炭も露天掘りと言う簡単な採掘からコストのかかる地下採掘へと資源を求め技術を革新させるが

やがてコストの増大と新たな資源である石油の登場と共に主役の座を降りる事となる。

さて、次の資源である石油ともなれば、木材や石炭のように原油そのままでは使用できない。

利用するためには原油を精製するという新たな技術革新を獲得しなければならない。

そのためには新しい技術を開発し精製するためのプラントを作り上げた。

この技術は木炭や石炭をエネルギー資源としていた時代よりも次元の違う技術が必要とされたが、人間は

これを乗り越え次の時代へと歩みだしたのだが、この石油もどうも残り少ないのではないかという事に

なり、更に高度なテクノロジーを要する原子力の世界へと突入して行く。



1907年、かのアインシュタインによりE = mc2という理論が発表される。物質の持つエネルギーは、その

質量に「光の速度の2乗」を掛けたものに等しいという特殊相対性理論の一部だ。この理論に逸早く

飛びついたのが、軍事産業であり、理論的には1円玉1枚の1gのアルミニウムで広島型原爆のエネルギー

を作り出せる。しかしそれには核分裂しやすい物質のウラニウム(ウラン)を臨界し易い濃度にまで高め

る技術が必要となるのだが、高度な技術力と膨大な資金が必要なため戦争という非常時の国家予算を投入

できた第二次世界大戦中に一気に各国がしのぎを削る開発競争へと突入した。


つまり原子力というエネルギーは、それまでの人類にとって必要な火を得るために獲得したものではなく

兵器として開発された代物なのだ。ただ原発に使用されるウランと兵器に使われるウランとでは濃縮の

純度さえ違いはあるが、原発で使用する低濃縮ウランと、原子爆弾に用いる高濃縮ウランの製造工程は

原理的に同じである事から、原発は紛れも無く準核兵器である。今この原発を放棄するという事は核の

脅威に自ら身を投げ出すという自殺行為に他ならない。


1945年戦後アメリカの占領統治下にあった日本は、その年から始まる思想上の対立、米ソ東西冷戦の

真っ只中に置かれていた。

敗戦後の日本はこれといった産業もなく貧しい国で、一般の人々は日々の生活にも困窮する有様だ。

そんな中ソビエトがアメリカを出し抜いて1953年に世界初の水爆実験に成功するニュースが飛び込んで来

る。1953年といえば日本がサンフランシスコ講和条約に調印し、アメリカの占領下かから解放された翌年

の事で、原爆を経験した日本人にとってはアメリカ人よりもショックを受ける事になる。


ところが、このソビエトの水爆成功によりアメリカの核戦略が一変し核平和利用という名を借りて同盟国

に核武装を進めるが、翌年秘密裏にビキニ環礁で行った水爆実験で日本の漁船が巻き込まれ被爆したこと

により世界が知ることになる。その後、船長は放射能が原因とされ死亡しビキニ沖で取れたマグロや、

日本の雨からも微量な放射能が検出され、日本は放射能パニックに陥る。世に言う「第五福竜丸事件」

である。


そうなると、敗戦後の行き場のない怒りや閉塞感、そして貧しさの矛先は「平和利用」と言いながら陰

では水爆を作り、またしても日本を犠牲にしたアメリカや、それを容認する吉田内閣に向けられる。

日本の反米世論は火に油を注ぐが如くに盛り上りを見せ、共産党や社会党が躍進する危険を感じる者達

は焦った。事実この日本の反米の機運に乗じソ連国家保安委員会(KGB)が、反米組織や政党、政治家、

新聞社などに資金を提供し、日本を共産化する行動を行っていた。1954年そんな世相から誕生したのが

冒頭にも述べたゴジラである。では何故、反核の権化であったゴジラが子供たちのアイドルになって

しまったのか?

それほど、反米の機運が高く反核であった日本に54基もの原発が出来てしまったのか?



家元の生まれた1953年当時、先ほども書いたが日本全体が貧しかった。勿論カネもないが、とにかく

モノがなかったのだ。当たり前のように今では使っている電気にしろ、地方の山間部や田舎では電燈も

なく夜は灯油ランプや行燈の明かりで生活している処も珍しいものではなく、かといって都心部や都会

でも慢性的な電力不足を抱えており、しょっちゅう停電していた。そんな社会状況の中で

「第五福竜丸事件」が起きたのである。

ここで、共産主義の台頭を恐れるアメリカと利害が一致し、アメリカの日本における核戦略の

キャスティングボードを握る日本人が登場する。もはや万人の知る読売新聞の故正力松太郎である。

彼は戦後A級戦犯に指定され巣鴨に留置されるが、不起訴となり釈放された人物の一人だ。最近の

アメリカ公開文書に当時CIAの協力者で資金提供も受けていた人物の一人にその名前がある。


次回は彼が何を思いどのように行動し、平和利用という隠れ蓑で覆われた準核兵器である原発を日本に

導入していったのか検証してみよう。


つづく・・・

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