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三人成虎 そのⅢ

2012.12.10(18:26)

しかし まぁ 何やねぇ~


何となく選挙目前を控え、1社の民主党大好き新聞を除き論調も少し変わって来たようで選挙を

行う前から自社アンケートの結果、自民圧勝のキャンペーンを張っている。そして、これを民意と

称し日本を動かす権力構造があることも事実だ。その昔、広告宣伝や企画を生業としていた頃に

上司から毎日のように言われていた言葉がある。

「世間にニーズなどは存在しない。ニーズは我々が創るものだ。」

この言葉が後にも書くが、原発導入を含み凡ての元凶になっている。



今回は正力松太郎がなぜアメリカの核戦略の一翼をになう「原発」を日本に持ち込む手助けを

したのかを考えるが、それには戦前、戦後の日本の状況を多角的に検証する必要がある。

表題にあります「三人成虎」とは、一人や二人が虎が来たと言っても信憑性はないが、三人が言えば

万人が信じるという意味の漢詩熟語です。



従来の説を覆す多くの衝撃的事実が記されていた「正力松太郎ファイル」と題されたCIA文書が発見

されてから、多くの研究者が正力松太郎と原発の関係の本を出版されている。共通している点は彼が

日本の総理に成りたいという権力意識からアメリカと手を組んだという見解だが、どうだろう。

はたして、一人の男の権力欲というだけの事では、動機としては不十分に思えて仕方がない。


彼は明治18年富山で土建業を営む家庭に生まれ、その後現東京大学を卒業、警察官僚を経て大正13年

に読売新聞の社長となり昭和15年大政翼賛会総務に就任、昭和22年東京軍事裁判でA級戦犯とされた

が不起訴となり釈放されている。昭和30年には富山より衆議院議員として当選、31年には原子力委員会

初代会長に就任した。

ここであえて、元号を使用したのは明治・大正・昭和と言う激動の時代の流れを俯瞰的に見る為である。

昭和と言う時代は歴史上において663年の白村江の戦いに敗れて以来、明治、大正と連戦連勝の戦いを

続けてきた日本人が敗戦と言う受け入れ難い屈辱を味わう破目になった時代だ。

本来なら「鬼畜米英」と合唱し、親兄弟、夫や子供が軍人と言わず一般市民までもが犠牲になり

あげく原子爆弾まで投下した神をも恐れぬアメリカに対し、末代までの怨念を持つはずなのに一体

どうしてしまったことなのか?



話はかなり遡る。1908年アメリカのフォード・モータースがT型フォードという車を発売する。

ヨーロッパで発明された自動車は、元来貴族が乗っていた馬車の代わりとして誕生し、一般庶民など

には到底手が出ない代物であったが、このT型フォードは現代でいうベルトコンベアー方式で作られ

大量生産が可能であり、それまでの金持ちの道楽品であった車を一気に大衆でも買えるモノに変革さ

せ、売れに売れまくった。これが資本主義における大量生産の幕開けであるが、この件につきロシアの

社会主義者レーニンは経済主義批判の中で、大量生産し民衆にモノが行き渡ってしまえばその経済の

成長も止まるではないかと述べている。理屈ではその通りだがその事を覆す出来事が起きる。


フォード全盛時代の1925年、クライスラーと言う自動車メーカーが誕生する。車としてはフォードより

高級な仕上げで価格も高い。誰しもがそんなものに需要はなく売れずに直ぐ倒産するだろうと言う

冷ややかな視線であったが、時を同じくしてテレビの放送が始まった。

そこで、クライスラーはテレビを使った販売戦略に出るのだが、テレビの画面では車の特性や性能は

一切紹介されずに当時のアメリカ人が程よく憧れる家庭が映し出される。それなりのリビングには少し

オシャレな家具が配置され、若くて美しい妻と3人のかわいい子供たち、物わかりの良さそうな主人が

さも円満そうに暮らす様がドラマ仕立てのように展開され、その最後にガレージにカメラを移すと

クライスラーの車が初めて現れ、キャプションとナレーションが添えられる。

「幸せのとなりには、いつもクライスラーがあります。」

このマスメディアであるテレビの効果は絶大で、クライスラーは上昇志向のある購買者という市場を

一気に開拓した。これに驚いたCIAは国家戦略の一部として政府に意見書を提出している。

1929年ニューヨーク株式市場の株価暴落を発端とした俗に言われるブラックマンデーで植民地を

持っていなかったアメリカは大きな経済的打撃を受け、リスクを分散させる植民地の必要性を痛感

していたが、もはや遅れて来た大国の植民地政策に同調する国はなかった。

しかしこのテレビと言う新たなマスメディアの登場がアメリカの植民地政策の切り札となって行く。

これこそが「情報化戦略」という人間の心の植民地化である。人間の心は際限なく無限であり

その不安や欲望を駆り立てコントロールする技術の専門家を国家レベルで育成し心理戦局を設ける。


このアメリカの情報化戦略のエージェントとなったのが、正力松太郎であり日本の各テレビメディア

である。昭和28年に日本テレビが放送を開始したが、GHQ(連合国総司令部)に取って代わった

CIAなどのアメリカ政府の情報機関が、戦略兵器と位置付ける程の影響力の強いテレビを自由化など

するよしもなく、事業開設を国の許認可制と定めコントロールできる仕組みを作り上げ、追従する

新聞各社もこぞって許認可を受ける。この事により戦後、一瞬自由化されていた新聞すらテレビ局との

運命共同体となり自由を失い、国家統制の一部に組み入れられる事になってしまった。

そもそも新聞自体がテレビ以前のマスメディアの最右翼であり国家の検閲を受けた、統制道具として

利用されてきた歴史を見ると当然の結果であるとも言える。

その後日本のテレビ放送は、新聞とシンクロしアメリカによる日本国民の洗脳装置と言わんばかりに

クライスラー張りの、自国民をも洗脳せしめた方法で親米放送を怒涛の如く流し始めた。


しかし、その背景には3年前の連合国統治下中に勃発した朝鮮戦争が大きな要因を持つ。

日本の敗戦まで朝鮮半島は日本の統治下にあったが、ポツダム宣言の受諾の時点ですでに朝鮮半島

北部には姑息なソ連軍が日本の北方領土と同じく降伏前に侵攻していた。アメリカはソ連の急速な

進軍により朝鮮半島全体が共産化されることを恐れ、朝鮮半島の南北分割占領を提案した。

ソ連はこの提案を受け入れ、朝鮮半島を北緯38度線を境に北をソ連軍、南をアメリカ軍に分割占領

したが、日本による植民地統治からの突然の解放に統一的な独立組織の基盤をもたなかった朝鮮は現在も

共産主義と資本主義の大国の狭間にある。その最中1950年に突如、宣戦布告を伴わずソビエトを

後ろ盾にした北朝鮮が協定ラインの38度線を破り南下攻撃を開始して来たのだ。

この事件によりアメリカの日本統治計画は一変する。戦後の日本を如何なる形で統治するかは開戦直後

より思案してきたアメリカではあるが、実際に戦闘した経験により日本人の優秀さと脅威を肌で感じ

一切の工業力や軍事力を持たせぬ国、「観光立国」として再建させるため日本国憲法の草案を作成し

自国の脅威となる戦前の三菱や住友、三井など財閥を一反は解体したのだが、朝鮮戦争に伴い兵員の

駐屯地、武器弾薬やその他軍事物資の補給基地として工業力のある日本を前線基地にせざるを得な

かった。皮肉にもこの突発的に起こった朝鮮戦争が戦後日本の高度成長期の足掛かりとなる。

この朝鮮戦争に日本人も北朝鮮の敷設した機雷除去のため主にアメリカ軍の指示により、海上保安庁の

特別掃海隊を派遣し直接的に参戦し殉職者まで出しているが、当時は公表はされなかった。

戦後、GHQは帝国海軍を解体したが唯一、掃海艇による機雷除去を海軍代表者に行わせ日本近海

のシーレーンを確保させていたが、昭和23年相次ぐ不法入国者を取り締まり、沿岸警備を強化する

必要に迫れれ運輸省内に海上保安庁が設立される。これが即ち海上自衛隊の前身ともいえるもので

陸上自衛隊の前身である警察予備隊は、在日米軍不足を補うため突如勃発した朝鮮戦争まで2年待た

なければならなかった。逆説的に捉えれば朝鮮戦争が起きなければ陸上自衛隊は存在しなかったの

かも知れない。戦前よりアメリカは日本の造船技術や海運技術について脅威を感じており、CIAを

中心に日本海軍との接触を行い情報を収集しており、海軍と陸軍の軋轢を利用しながら更なる対立分断

工作に資金を投下し敗戦へと導いた。

ここで言う海軍と陸軍の対立とは旧薩摩と長州や軍閥、学閥の確執構造ではない。イデオロギー、

思想の対立である。


つづく・・・


実践躬行

2012.12.08(20:57)

しかし まぁ 何やねぇ~


原発話はちょっと休憩して、個人的にかなりショックに陥った事柄をご紹介する。



ゆうべはちょっと、ほたえすぎた。いつもはシンデレラおじさんで帰るのだが、どっこい飲みすぎて

しまった。どこかでスイッチが入ったようで記憶に自信がない。この記憶が飛ぶという現象は実に

もったいないもので、いくら絶世の美女に囲まれ酒池肉林の思いをしていても記憶にないのだから

なかった事と同じで、しかも軽くなった財布だけはしっかりと記憶を留めていると言うのも悲しい。

まぁ、取っ掛りはそんな軽い後遺症を抱えながら近所のABC食堂でランチだ。とりあえずはこうなる。

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飲みながら昨日の深酒の原因を考えてみると、やり切れぬ感情のはけ口がついつい記憶破壊へと導かれた

のだろうと自己弁護の心境で深くは追求する事をたしなめたが、どうにも引っかかる。


昨日は、以前から行きたいと思っていた「葛飾北斎展」を観に市立美術館へと足を運んだ。

北斎については、多くの方も知る浮世絵の巨星であり、ゴッホを始めとする印象派の画家や他の世界の

芸術家にも影響を与えた日本のビックネームである。北斎の類まれなき天才の持つ観察力と構図の視点、

表現力や描写力の正確さなど、とても生身の人間では到達できない、まるで連射カメラの如き目を

持っているのだ。しかも生涯において3万点以上ともいう作品を描いているのだから尋常ではない。

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平日にもかかわらず最終日も近い事もあってか、館内は行列が出来るほどの盛況ぶりを見せていた。

通常、家元の美術鑑賞は一連の作品を流しながら一巡し、心を鷲掴みにされた作品を逆戻りして見入ると

いう方法だが、こう人が多くてはそれも間々ならず行列の一端へ加わった。

大なり小なり作品というものは作家の魂の写し絵である。命を削るような気迫の入魂された作品ともなれ

ば数点鑑賞しただけで、こちらの魂を抜き取られてしまうほど疲れてしまうため、流し観スタイルという

方法を編み出した。もう20年以上前にもなるが東京近代美術館で梅原龍三郎の作品30点余りを、時間を

かけて真摯に観終わった帰り道、いっそこのまま皇居のお堀に身を投げて死にたいと真剣に思ってから

危険な鑑賞の仕方を止めたのだ。


確かに北斎は代表作富岳三十六景や美人画、肉筆画においても卓越した才能を如何なく発揮しているが

家元の最高に好きな作品は北斎53歳において描かれた画学生のための絵手本ともいえる全15編からなる

「北斎漫画」である。北斎は人物を正確に描くに当たり、人間の骨格や臓器の知識を得ようと解剖学を

も習得した東洋のダビンチで、北斎漫画に登場する人物の筆遣いには目では見えぬ骨格が正に存在して

いる。それ以上にこの北斎漫画の素晴らしさは、まったく気負い無くのびのびと描かれている事だ。

そこには何ら意図も無く、どやさ!の自慢も無く、透き通るような透明感と清らかな世界が淡々と

描かれている。その世界観はある種の悟りに到達した者の境地かも知れない。

北斎と比べる事など、有るまじき行為で恐れ多い事だが家元も新聞の折り込み広告の裏に、何の気負い

もなく走り描く世界が一番気に入っている。


その昔に大先輩から言われた事がある。

「アートの世界とは人様に己のケツの穴を堂々と見せられるか否かで成否が決まる」

という言葉だが、未だにケツの穴を見せることが出来ずに、ついつい「えぇカッコ」をしてしまうのだ。

考えてみれば「えぇカッコ」の根本とはいかに己の本質が希薄であるかの防衛本能とでも言うか、自己

の内容があまりにも薄っぺらで、俗物の権化であることを知られたくない為のメッキでしかない。

だが中々にメッキを落とし、ケツの穴を見せたときに想像する社会批判や喪失感、孤独感を思うと勇気

が出ないのだ。そんな中途半端な思いが「北斎漫画」を観ていると重く圧し掛かって来たが、幸い飛び

込む堀もなかったので命だけは取り留めた。



何やらもやもやした気持ちを引きずりながら、帰りは久しぶりに南で飲もうと心斎橋で地下鉄を降りる

と大丸百貨店のアートイベントのポスターが目に入った。

「アートアクアリウム・金魚の艶」と題されたイベントだ。まだ飲むには少し時間もあり覗くことに

した。この大丸ミュージアムは三越画廊などと過去には双璧とされる権威あるイベントスペースで

あったが最近は若手のアーティストなどにも広く開放している場所だ。写真撮影も可能と言う事で少し

驚いたが、薄暗い照明の館内に入り更に驚いた。アクアリウムという限りは水族館なのだが、そのまん

ま金魚の水族館になっているだけで、水族館と違うのは水槽の形と光を金魚に当て色の変化が面白いと

いうことらしい。

もし、家元が金魚愛好家ならば早々に関係機関に虐待だと抗議するであろう光景が続くのだ。


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100歩譲ってモダンアートである事は認めても、やり口が気に入らない。これがアートの世界というなら

昔夜店で売っていた赤や青や緑のカラフルに塗装されたひよこも立派なアートではないか!

動物園も植物園も水族館もアートの世界なのか?そこには人間が生き物を展示するという後ろめたさから

可能な限り生息する自然界に近づけ飼育するという、身勝手ではあるが生き物同士の思いがまだ少しは

感じられるが、これはいかがなものか?金魚自体が長い年月をかけて人間が作り上げたアートであるなら

それを尊重する謙虚さが、この作家にはまったく見当たらない。

まるで外国映画に出てくる不愉快極まりない屈折した日本文化と称する映像を垣間見る思いだ。

こんな愚劣なものにスポンサードする豆腐屋もそうなら、受け入れる大丸も大丸で品格と教養の無さに

唖然とする。この作家は特別に美術のアカデミックな教育も受けておらず、経歴からすればイベント屋の

類で要は売名行為の一環なのかも知れないが、これは禁じ手の一つだと考えている。

しかも、先ほど北斎の清らかさに鞭打たれた直後のことで尋常な精神状態を保つことすら危ぶまれたが

よくよく考えてみれば、この程度の批判や反発など作家にとっては想定内の事ではなかったのかと予測

すると、まさに恐れずにケツの穴を堂々と見せているという事になる。

とすれば、えぇカッコして何も創らずケツの穴も見せられず内股でしゃなりしゃなりと歩く家元に何の

批判が出来るであろうか。百の論調より一つの実体の素晴らしさを知っているし恐れ無き若いころには

あまたの批判や中傷を受けながらも作品を世に問いかけた時代もあったが、どうして年と共に臆して

しまうのだろう。北斎にもやられ、金魚にもやられた一日だ・・・

今夜は荒れ模様の酒になるなと覚悟してミュージアムの出口へと向うと、その事を事前に察知するかの

ように来場者に無料で提供されるドリンクを手渡された。


・・・・ウコンの力・・・・

やりよるのぅ~~~






おまけ~目線てこんなこと? 目が線になってますけど~


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三人成虎 そのⅡ

2012.12.04(15:14)

しかし まぁ 何やねぇ~


脱原発・反原発・ゼロ原発と草木もなびいているようだが、「原発」とは原子力の熱エネルギーを利用

した「発電所」に他ならない。問題はそれが人間にとっては制御する事が極めて難しい核分裂の熱を

用い、しかも人体に有害な放射線を副産物として放出するところにある。

表題にあります「三人成虎」とは、一人や二人が虎が来たと言っても信憑性はないが、三人が言えば万人

が信じるという意味の漢詩熟語です。



人類が火を手に入れてから現在まで、この火という人間の生活には不可欠なエネルギー資源を求め幾多

の技術革新が行われてきた。言い換えれば技術革新とはエネルギー資源獲得の歴史でもある。

火を得るための資源として、真っ先に利用されたものは木材だ。周りを見れば何所にでもあり火を

付ければ直ぐに燃える、水を掛ければすぐに消える扱い安い燃料であった。しかし集団的農耕が始まると

人口は一気に増え、農地を拡大するために森林は伐採されて行く。その後、紀元前3500年前ごろより製錬

技術を獲得した人類は金属の精錬用に大量の木炭を必要とし大規模な森林伐採を行うようになるが、その

多様な金属を手に入れた幾多の古代スーパー文明も、森林の大量伐採による資源枯渇に加え伐採後の地盤

の保水力低下や土壌の砂漠化などの弊害により衰退していったと考えられている。


また、中世ヨーロッパではキリスト教の布教と共に多くの森林が消滅している。

多神教が大半を占めていた当時のヨーロッパでは森や大木を神として信仰していた人々が多く、唯一神を

布教するキリスト教にとって、森や木は邪魔な存在であったため、伐採し焼き尽くしたのである。


そして近世に至ると効率的な鉄の精錬技術が生まれ産業革命を迎えるのだが、すでに森林は衰退し大量

に伐採する木材資源が枯渇する状態に陥っていた。そこで大量の火力を必要とする精錬の資源に新たに

目を付けたのが石炭を蒸し焼きにした「コークス」なのだが、この石炭は木材と比べ重く採掘にも運搬

にも重労働を伴う資源であったため、技術革新せざるを得なかったのだ。

たとえば、今までは馬車に材木を積み地道を難なく運べたが、重い石炭を運ぶとなると一たび雨でも降ろ

うものなら、ぬかるみに車輪がめり込み立ち往生する始末で仕事にならない。

それじゃぁという事で、地道を舗装して走りやすくし、どうせならという事で鉄の軌道も作り鉄道馬車が

完成するが、馬ではぶっ通しで走れないからと蒸気機関車が登場する。このように技術革新とは必要に

迫られた人間の苦肉の英知ともいえるが、その産業革命発祥の地であるマンチェスターには無数の精錬

鉄鋼所の煙突が林のように立ち並び、日中でも煤煙で太陽の光さえ届かなかったという大気汚染だ。


その石炭も露天掘りと言う簡単な採掘からコストのかかる地下採掘へと資源を求め技術を革新させるが

やがてコストの増大と新たな資源である石油の登場と共に主役の座を降りる事となる。

さて、次の資源である石油ともなれば、木材や石炭のように原油そのままでは使用できない。

利用するためには原油を精製するという新たな技術革新を獲得しなければならない。

そのためには新しい技術を開発し精製するためのプラントを作り上げた。

この技術は木炭や石炭をエネルギー資源としていた時代よりも次元の違う技術が必要とされたが、人間は

これを乗り越え次の時代へと歩みだしたのだが、この石油もどうも残り少ないのではないかという事に

なり、更に高度なテクノロジーを要する原子力の世界へと突入して行く。



1907年、かのアインシュタインによりE = mc2という理論が発表される。物質の持つエネルギーは、その

質量に「光の速度の2乗」を掛けたものに等しいという特殊相対性理論の一部だ。この理論に逸早く

飛びついたのが、軍事産業であり、理論的には1円玉1枚の1gのアルミニウムで広島型原爆のエネルギー

を作り出せる。しかしそれには核分裂しやすい物質のウラニウム(ウラン)を臨界し易い濃度にまで高め

る技術が必要となるのだが、高度な技術力と膨大な資金が必要なため戦争という非常時の国家予算を投入

できた第二次世界大戦中に一気に各国がしのぎを削る開発競争へと突入した。


つまり原子力というエネルギーは、それまでの人類にとって必要な火を得るために獲得したものではなく

兵器として開発された代物なのだ。ただ原発に使用されるウランと兵器に使われるウランとでは濃縮の

純度さえ違いはあるが、原発で使用する低濃縮ウランと、原子爆弾に用いる高濃縮ウランの製造工程は

原理的に同じである事から、原発は紛れも無く準核兵器である。今この原発を放棄するという事は核の

脅威に自ら身を投げ出すという自殺行為に他ならない。


1945年戦後アメリカの占領統治下にあった日本は、その年から始まる思想上の対立、米ソ東西冷戦の

真っ只中に置かれていた。

敗戦後の日本はこれといった産業もなく貧しい国で、一般の人々は日々の生活にも困窮する有様だ。

そんな中ソビエトがアメリカを出し抜いて1953年に世界初の水爆実験に成功するニュースが飛び込んで来

る。1953年といえば日本がサンフランシスコ講和条約に調印し、アメリカの占領下かから解放された翌年

の事で、原爆を経験した日本人にとってはアメリカ人よりもショックを受ける事になる。


ところが、このソビエトの水爆成功によりアメリカの核戦略が一変し核平和利用という名を借りて同盟国

に核武装を進めるが、翌年秘密裏にビキニ環礁で行った水爆実験で日本の漁船が巻き込まれ被爆したこと

により世界が知ることになる。その後、船長は放射能が原因とされ死亡しビキニ沖で取れたマグロや、

日本の雨からも微量な放射能が検出され、日本は放射能パニックに陥る。世に言う「第五福竜丸事件」

である。


そうなると、敗戦後の行き場のない怒りや閉塞感、そして貧しさの矛先は「平和利用」と言いながら陰

では水爆を作り、またしても日本を犠牲にしたアメリカや、それを容認する吉田内閣に向けられる。

日本の反米世論は火に油を注ぐが如くに盛り上りを見せ、共産党や社会党が躍進する危険を感じる者達

は焦った。事実この日本の反米の機運に乗じソ連国家保安委員会(KGB)が、反米組織や政党、政治家、

新聞社などに資金を提供し、日本を共産化する行動を行っていた。1954年そんな世相から誕生したのが

冒頭にも述べたゴジラである。では何故、反核の権化であったゴジラが子供たちのアイドルになって

しまったのか?

それほど、反米の機運が高く反核であった日本に54基もの原発が出来てしまったのか?



家元の生まれた1953年当時、先ほども書いたが日本全体が貧しかった。勿論カネもないが、とにかく

モノがなかったのだ。当たり前のように今では使っている電気にしろ、地方の山間部や田舎では電燈も

なく夜は灯油ランプや行燈の明かりで生活している処も珍しいものではなく、かといって都心部や都会

でも慢性的な電力不足を抱えており、しょっちゅう停電していた。そんな社会状況の中で

「第五福竜丸事件」が起きたのである。

ここで、共産主義の台頭を恐れるアメリカと利害が一致し、アメリカの日本における核戦略の

キャスティングボードを握る日本人が登場する。もはや万人の知る読売新聞の故正力松太郎である。

彼は戦後A級戦犯に指定され巣鴨に留置されるが、不起訴となり釈放された人物の一人だ。最近の

アメリカ公開文書に当時CIAの協力者で資金提供も受けていた人物の一人にその名前がある。


次回は彼が何を思いどのように行動し、平和利用という隠れ蓑で覆われた準核兵器である原発を日本に

導入していったのか検証してみよう。


つづく・・・


三人成虎 そのⅠ

2012.12.04(01:35)

しかし まぁ 何やねぇ~


夜中に「ナゼ原子怪獣ゴジラは子供たちのアイドルになったのか?」を書いていると、けっこう超大作に

なってしまうので、小出しに連載します。随所に反社会的な文言や独善的な意見が見られますので柔軟な

思想の方以外は気分が悪くなる恐れがありますが、その責任は持ちかねますのでご了承下さい。

表題にあります「三人成虎」とは、一人や二人が虎が来たと言っても信憑性はないが、三人が言えば万人

が信じるという意味の漢詩熟語です。





福島原発事故以来、現地では遅々と進まぬ長い時間であるが「原発」ゼロにするという日本の将来をも

左右する国家の指針を2年足らずの時間で、大した議論や政府・東電の情報公開も無いままで、またまた

「原発ゼロ」の新党が旗を挙げたようだ。


子供の時には鉄腕アトムもドラえもんも原子力で動いていたはずだが、最近は違うらしい。

もっとも、ゴジラは水爆実験の放射能により怪獣化し人間に復讐?するという反核精神の権化だったが

いつのまにか子供たちのアイドルに成り下がる運命を背負わされてしまった可哀そうな怪獣だ。


どうも人間が未来を描く時にはネガティブな発想は排除され、光り輝くバラ色が好まれるようで過去に

描かれた未来図にも、幾多の公害病や大気汚染、河川を含む海洋汚染、それに伴う事故などには一言も

触ていない。

そうなると社会の利便性の裏には必ず落とし穴が存在するという、まぎれもない事実を認めなければなら

ないが、必ずしも冷静にその両方を踏まえた議論を展開する者は少く、極論同士がぶつかり合う。

つまりは、実に子供っぽく相手の話を真っ向から否定し白か黒かの決着を迫るのだ。

誰しも未来なるものはわからない。10年後、20年後はおろか明日の日や数時間後もわからない不確定な

未来という概念ゆえに皆が不安を感じ、どうすれば良いのかを決めかねるのだ。

その時、誰かが大きな声で白なら白!黒なら黒と叫ぶことにより、雪崩を打ってその方向へと走るのが

世の常である。それは決して将来を考慮した判断ではなく、今、誰に付けば、どこの味方の振りをすれば

疎外されずに今を安全かつ摩擦せずに事を済ませるかという、非権力者のいわば生きる知恵なのだ。

学校や社会の俗に言う「いじめ」に対する傍観者と相似形において同じ構造である。



原子力が白か黒か、安全か危険かと問われれば「黒で危険」であることには異論はない。

当然過去に地球の大陸は引き裂かれたり、ぶつかったりを繰り返して今にあるという事は、いつそれが

起こらないとは限らないのだから、未来永劫安全な場所など人間の存在如何に関わらずありえない。


ではエネルギーとして何をどうするのかという具体的な代替え案も見えて来ない。大方の政党は数十年

かけて代替えエネルギーを獲得して最後はゼロにするとおっしゃるのだが、その数十年に対し責任が持て

るのか実に怪しい。実際数十年前の選挙公約が今に守られた例もないのだから、それこそ

「ヤルヤル詐欺」だ。


化石燃料の枯渇に加えCO2の排出問題で火力にも限界があり、環境問題や脱ダム宣言で水力もダメ、

太陽光や風力、地熱などと言うが、そんなちゃちなもので賄えるほど日本の電力使用量は半端なもの

ではない。

反原発の方はヨーロッパでは工業国のドイツを始めとして、原発ゼロの国が現実にあるではないかと

おっしゃるのだが、彼らはフランスを含め外国から高いお金を払い電気を買っているのだ。

しかも、送電線の短縮化からドイツ国境に近い場所に他国の原発が乱立している事実は、はたして自国の

脱原発だけで安全なものかと疑問になる。ドイツ人もあほうではないので、同じように突き詰めた議論も

せずに反原発に舵を切ってしまったものだから、今更後には引けないという不自由さで苦慮している現状

だ。では島国の日本はどうだろ?

今や21基の原発を持つ韓国の15基が日本海側にある。対岸の日本までは最短で50キロを切る位置にだ。

ここで問題が起これば対馬海流に乗って日本海側の地域は完全に汚染される。

さらに大規模な地震の多い中国では、雨後の竹の子のように原発が建設中で、計画通りに進めば20年後

にはアメリカを抜き世界最大の原発大国になる。毎年偏西風により日本に黄砂や最近では酸性雨をもたら

す国がだ。問題は放射能は自国の事だけで済まないという厄介な代物で、海の向こうで新幹線が事故を

起こしたというような対岸の火事では済まされない、日本にも火の粉のかかる重大な問題だ。


韓国や中国の原子炉と日本の原子炉ではどちらが優秀でしょうか?

韓国や中国は綿密な地質調査をして安全性の高い場所に原子炉を作っているのでしょうか?

これら韓国や中国の原子炉は日本にとってまったく無関係なのでしょうか?

日本の原発をゼロにし万一将来日本の不足する電力を買わざるを得ないとすればどの国でしょうか?


どんな事にでも推進派がいれば反対派がいる。どちらもその結果による利益をこうむる者が活動資金を

提供しているのは昔から変わらない。今日もアホな政治家が「原発ゼロ」は国民の総意であり、それを

反映さすのが政治の仕事だと恥ずかしげもなく述べていた。本当に国民の総意なのか?理想では有るかも

しれないが決して総意なるものではない。

もう一度単純に考えてみよう。「原発」を作って得するのは誰で「原発」を無くして得するのは誰かと

いう図式を。今この小さな日本には54基の原発があるが、そもそもナゼこんなに多くの原発が必要だった

のかと言う問題だ。次回はそれを探ることにしよう。


次回につづく・・・


本末転倒

2012.12.03(17:22)

しかし まぁ 何やねぇ~

あっという間に12月、誰が暦なんか作ったんやろね?こいつさえなければ時間の観念なんかないから、毎日

がただの次の日やし、年齢なんかでも「ちょっとしか見てない奴」「そこそこ見てる奴」「けっこう見

てる奴」くらいの3段階で済んだのに・・・ましてや来年は「還暦」ってか?!とうとう老人の仲間入りやな

いかいな。敬老の日が他人事ではなくなるとは思いもよらなんだわ。胸焦がす愛や恋なんかも経験せぬま

まに老いて行くなんて我ながら不憫なことや。(外野席うるさいぞ!)


てなことで、表に出ると久々の快晴。澄み切った青空に高麗橋のいちょうが、巡り来る再生を誓うように最

後の力を振り絞り、見事な存在感を誇示していた。あまりの神々しさに思わず足を止め無意識のうちにカメ

ラを向けていた。

12-12-03-1-0.jpg

こんなシーンに出くわした時用に買ったニコンのミーラーレス一眼なのだが、持っていない。

いつも持ち運べるようにと小型にしたくせに持っていない。持ち運べるバックまで買ったのに持っていな

い。


これは家元に限らず誰しもがある話で「手段」が「目的」に代わってしまった良い例だ。

こんな時に一眼レフカメラがあれば、もっとあんな事もこんな事も表現ができるのに、あぁ一眼レフが欲し

い。ならばどんなカメラが良いのか色々と調べ、それなりに研究もしカタログやネットの口コミ、オークシ

ョンなども検索して自分なりに納得したものを探し出す。その時期がたぶん一番楽しい時間で、ああでもな

いこうでもないと妄想を広げて行く。ところが意を決して購入した時点で納得してしまい、熱が冷めてい

る。いつの間にか納得行く写真を撮影するいう「目的」に「手段」として必要であったカメラが、購入する

経緯において「目的」に変換され所有した時点で完結してしまっているのだ。


これは世間でもよくある事で、より良い安定した生活を得るという「目的」の「手段」として有利な条件で

大学を目指すのだが、入学することがすでに「目標」となってしまい入学後に浮遊する学生も少なくない。

まぁお若い男女にしろ、「手段」であるデートなどを重ねお互い何かしらの「目的」を達成させ、今度は

「目標」という偉業に挑む方々と、目的と手段が逆転したり混同したりで浮遊するカップルも多い。



何事においても12月はリセットの月でもある事だし、今年一年の穢れを払い来年に備える事にしたいのだが

その「目的」のための「手段」でる忘年会が容赦なく飲めるという「目的」になりそうで少々心配である。


おまけ~今日は特に冷えまんなぁ~

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